オーストラリア メルボルン大学
Acer Landscapes(オーストラリア:造園会社)
Mettler Landschaftsarchitektu(ドイツ:ランドスケープ事務所)

自己紹介:

初めまして。愛知県出身、ドイツ、ベルリン在住の中島悠輔です。
私は東京大学農学部にて生態学を学び、東京大学大学院都市工学専攻にて緑地計画を学びました。修了後、1年ほど準備期間を経て、オーストラリア、メルボルン大学に留学し、ランドスケープアーキテクチャの修士課程を取得しました。

卒業後、現地の造園会社Acer Landscapesで9カ月ほど働き、現在、ドイツのランドスケープ事務所、Mettler Landschaftsarchitekturに勤務しております。またランドスケープアーキテクチャを学ぶ学生・社会人の情報交換の場としてFacebookGroup「ランドスケープを学びたい人の井戸端会議」を運営しています。

1−1中島写真
本記事では、簡単にどういう経緯でランドスケープを学ぼうと思ったのか、また東京、メルボルン、ベルリンでのランドスケープの学びや仕事について書きたいと思います。ランドスケープという分野についてや、国内での勉強、留学や海外での就職について少しでも知って頂けたら幸いです。


ランドスケープに興味を持ったきっかけ
私は日本で生まれ、1歳から6歳をオーストラリア、シドニーで過ごしました。小学校に入学するタイミングで名古屋の郊外の街に戻りました。

シドニーに居た頃は毎日ビーチに行き、釣りをしたり、芝生で遊んだりしていました。名古屋の郊外の街は田畑が広がる田舎ではあったのですが、用水路はヘドロが詰まり魚はおらず、たまに行く名古屋の街並みも高層ビルが建ち並び、息苦しさを感じていました。

子供ながらこの変化にショックを受け、以降、自然や空間に興味を持ったように思います。一人でスコップを持って用水路を掃除して居たこともありました。

2−2シドニーの海22−1シドニーの海
シドニーの海

2−3名古屋郊外2−4名古屋郊外2

名古屋郊外


日本でのランドスケープの勉強
大学進学の際には、環境問題や自然について勉強をしたいと思い、東京大学理科2類に入学しました。大学2年頃にランドスケープアーキテクチャという言葉を知り、農学部に進学しました。緑地創成学研究室に所属し、基礎的な植物学・生態学・森林学・景観学を学びました。
デザイン実習という授業もあり、公園の設計を少し学びましたが、この頃の私はかなり頭が固くひねくれており、「丘の形はなぜこれでないといけないのか」、「階段は本当に必要なのか?」など色々と考えすぎるあまり、線を引くことが全くできませんでした。先生からは手を動かしてから考えろと言われましたが、頭の中の考えばかりが先行し、手を動かせず、完全に落ちこぼれていました(笑)
自分で言うのもなんですが、特に真面目な性格の人は、デザインを初めてやる時、こういったハードルに直面するのではないかと思います。
3−1東大3−2東大スタジオ
落ちこぼれていましたが、デザインをすることを諦めきれず、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻の環境デザイン研究室に進学しました。大学院時代にはデザイン系の実習やコンペに参加しました。都市工や建築、社会基盤の学生と議論し、提案を行ううちに、少しずつリサーチの仕方、イラレ・フォトショの使い方、ダイアグラムの描き方、図面の描き方、模型の作り方、ポスターの作り方を学んでいきました。

3−3修士研究+提案3−5修士研究+提案

ただ独学で学んだだけであり、レベルはかなり低かったように思います。また、建築の学生と比べるとスタジオに参加し、教授や他の学生に自分のデザインを評価してもらうという機会が圧倒的に少なかったので、自分のデザインや表現力に自信が持てずにいました。このままではデザインを仕事にすることはできない、と思い、本格的に留学をしてランドスケープを学びたいという気持ちが強まりました。
幸運なことに知り合いに海外にランドスケープ留学をしたことがある何人かおり、大学院を卒業した後に1年間、その方達の下でインターンをさせて頂くことになり、その間に留学準備をすることになりました。この時に助けて頂いたのは本当にありがたかったです。
ポートフォリオ制作や英語の勉強に苦労しつつも、色々な方にたくさん助けられ、1年後、メルボルン大学から入学許可をもらいました。


メルボルンでのランドスケープの勉強

4−1メルボルン大学4−2メルボルン大学
メルボルン大学ではランドスケープアーキテクチャ修士課程3年コースに入りました。建築のバックグラウンドがある場合は最初の1年を飛ばし、2年間で修了することができますが、残念ながら3年のコースに。

3年間の必修の科目は大まかに以下のような感じです。こちらから詳細を知ることができます。
1年目:デザインソフトウェア演習、基礎生態学・植物学、ランドスケープの歴史
2年目:ランドスケープ理論、詳細設計
3年目:GIS演習、応用生態学、実務演習、卒業制作

4−4メル大1学期課題24−8メル大5学期課題2
4−5メル大4学期課題4−6メル大4学期課題24−7メル大5学期課題

費用や時間の面からできれば<2年コース>に行きたいと思っていましたが<3年コース>に入ったところ、最初の1年が一番充実していたように思います。イラレ・フォトショ・ライノセラス等のソフトウェアの使い方や植物学や歴史などランドスケープの基礎を学ぶことができ、自信のなかったソフトウェアを克服し、自分の考えや表現の基盤が作られていく感覚がはっきりとありました。

また、3年コースの場合は出願時にポートフォリオがいらず、経済学や法学など様々な分野の学生がクラスメイトにいました。正直、自分がビビって日本で足踏みをしていたのがもったいなかったと思うくらい門戸が開かれている印象がありました。今後、ランドスケープ留学をしたいと思う方には「自分の経験の無さは関係無いので、なぜランドスケープを学びたいかをエッセイに書き、早く飛び込んでしまうこと」をおすすめしたいです。

4−3メルボルン大学スタジオ
また、メルボルン大学のカリキュラムは非常に体系的だと感じました。歴史・理論を学んでから実務演習など、基礎から始め応用に繋がって行きます。そしてどちらかと言うと、デザインの中にも学術的な考え方や理論を求めているような印象があります。私はどちらかと言うと慎重な性格なのでメルボルン大学の考え方がとても合っていました。
ロイヤルメルボルン工科大学(RMIT University)はどちらかと言うと、学術を意識しつつもその枠を越えたアーティスティックな提案が多い印象があります。大学選びをする際にはカリキュラムや大学の特色を意識されると良いと思います。


コロナ禍メルボルンでの卒業制作
ランドスケープ留学の最後の1年は、コロナ禍でロックダウンをしているメルボルンで過ごしました。メルボルンは他の国・都市と比べ非常に厳しい国境封鎖やロックダウンの規制、罰金措置があったのですが、これらによる生活の変化は凄まじく、卒業制作のテーマも必然的にコロナ禍、アフターコロナの生活になっていきました。

メルボルンのシティエリアはグリッド状の道路をさらに突っ切るレーンウェイ(路地)にカフェやバー・アートスペースが密集している街で、長年、リバブルシティと評価されてきました。多くのメルボルン市民は郊外から毎日シティに通い、仕事をしカフェやバーを楽しんでいましたが、その様相はコロナで一変。周りに周囲に何も無い郊外の家にほぼこもって半年以上を過ごさないといけなくなりました。

私自身も郊外にある家の一部屋を借りて生活をしていたのですが、どちらかと言うと外に出たり人に会ったりするのが好きな性格のため、時間的にも空間的にも変化の乏しい郊外での生活に段々と参っていきました。無気力になっていった自分の生活をどう立て直したら良いかを考えるうちに、服を着替え、電車に乗り、大学に行き、人と会って、家に帰って、着替えて寝ると言う一つ一つの儀式(Ritual)をこなし、生活にリズムを作る事が大事なのではないか、という結論に至りました。

5−1コロナ禍に毎日散歩したヤラ川

卒業制作の提案は、コロナやカーシェアリングシステムにより不要になった郊外住宅街内の路駐スペースを雨水貯留・排水するレインガーデンに変更し、その上にシェアオフィスや運動空間、瞑想空間となるプラットフォームを作るというものになりました。

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卒業制作のプレゼンボード
には、メルボルン大学の3年間で学んだ事が散りばめられていて、アルバムを見返しているような気持ちになります。

1年目に学んだフォトショの使い方、植物学の知識、2年目に学んだランドスケープ理論と詳細図面の描き方、3年目に感じたコロナ禍での生活とあるべきランドスケープの変容

一つ一つの文章やイメージが、授業の様子やフィールドトリップでオーストラリアの大自然を見に行った時、友達と夜中まで課題に取り組んだ時の事のことをありありと思い起こさせます。
5−4卒制35−5卒制4

日本の大学では東大の農学部・都市工学専攻で、ランドスケープを農学・生態学・庭園学・環境心理学・森林学・景観学・都市計画の視点から学びました。ランドスケープの外堀をゆっくりゆっくり埋めていく感覚はあったのですが、東大が学術的な大学ということもありどうしても設計について学ぶ事ができず、目指しているところのど真ん中を射貫けていない気がしていました。
3年間の留学では、メルボルン大学で専門学校的に設計の技術やそれに必要な知識を詰め込みました。それは東大では学べなかった私が求めていた知識でした。

3年間の留学生活を終え、的の真ん中を射抜けた気がしてすっきりしました。留学が全てではないですし、もちろん大変なこともたくさんありますが、私にとっては必要な体験でした。今後、ランドスケープの分野を勉強される方・留学を検討されている方にとって少しでも参考になれば幸いです。


また2020年よりFacebook Group「ランドスケープを学びたい人の井戸端会議」を運営しており、ここではランドスケープに関する勉強や仕事、留学、イベントについてゆるく情報交換をしています。

アメリカ・カナダ・オーストラリア・イタリア・南アフリカなど様々な国に留学している方・留学経験がある方に現地の様子について話をしてもらったり、日本の国内でお仕事をされている方のお話を伺ったりするオンラインイベントを2ヶ月に1回程度のペースで行なっているのでもし良かったらご参加ください。

5−6井戸端会議トップ2


メルボルン・ベルリンでのランドスケープの仕事
2020年の年末ごろにメルボルン大学を卒業し、しばらくは現地のランドスケープ事務所Acer Landscapesにてランドスケープアーキテクトとして仕事をしていました。個人庭の設計・施工・管理を行いましたが、非常に勉強になりました。
日本の時もオーストラリアの時も、大学で設計を行なっている時にはコンセプトとして良いものだと思っていても、本当に良い「空間」を作れているのかが分かりませんでした。

良いランドスケープとは、機能的なだけでなく、その土地の歴史・文化・自然を表現する「空間芸術」であるべきだと思っています。


その場所に入っただけで人の心に訴えかけるような空間を作りたいと思っています。が、実物を触らずに平面図をたくさん引いても、自分が設計した空間が「良い空間」なのかが分からず、現場を経験してみたいといつも思っていました。

大学では模型は作りましたが、実際に庭や公園を作る機会はなかなか訪れませんでした。日本では時々、内装や造園のアルバイトをして穴を掘ったり、植物を植えたり、といった事をしましたが回数が少なく、何か大切なものがまだ掴み切れませんでした。

Acer Landscapesで働き始め、設計から管理まで庭に関わる機会が出てきました。やればやる程、一つ一つの石や植物が違う形をしていることに驚き、現場でそれらを選び、配置して空間を作っていく楽しさを感じました。そして石の高さや位置を1cm動かすだけで全く違う雰囲気になることにも気がつきました。9ヶ月だけの期間でしたが非常に大切なものを学んだように思います。
s-6-1メルボルンでの仕事1s-6-2メルボルンでの仕事2s-6-3メルボルンでの仕事3

その後、縁があり2021年9月からドイツ、ベルリンに移りランドスケープ設計事務所Mettler Landschaftsarchitekturにて働く事になりました。現在は主に公共空間の設計に携わっています。

s-6-4ベルリンのランドスケープ1s-6-4ベルリンのランドスケープ2s-6-5ベルリンのランドスケープ3
仕事をする中で、ヨーロッパの歴史や文化、自然を少しずつ学んでいます。そして、ランドスケープに対する考え方も日本とも、オーストラリアとも微妙に異なるような気がしています。


メルボルンのデザインはアート的、人工的で大胆な提案が、ベルリンのデザインは機能的で自然的、落ち着いた提案が多いように感じます。東京、メルボルン、ベルリンのランドスケープを比較した記事を前述したFacebookGroupのブログページに書いているのでぜひ読んでみてください。東京・メルボルン・ベルリンのランドスケープを渡って
ドイツで仕事をしていく中でより深くドイツ・ヨーロッパのランドスケープの考え方をもう少し深く理解することができた時には、「ランドスケープをしよう」や様々な場所でその話を発信していこうと思います。



これからの挑戦
この記事を書いているのは2021年の11月。ベルリンに来てから2ヶ月半が経ちました。実は今働いている会社のメインの言語はドイツ語です。社内外のミーティング、仕事の指示、同僚との会話のほとんどがドイツ語でされています。ちなみに私はドイツ語が分からないですし、話せません(笑)

流石に私への指示はドイツ語混じりの英語で話してくれますが、指示の細かな部分や、デザインへの考え方についての意思疎通が非常に難しいです。同僚や上司にとって迷惑ですし、私も自分の意見を上手く伝える事ができないので、今はなんとかドイツ語を話せるようにならなければ、と、語学学校に通いドイツ語を少しずつ勉強しています。

これまで日本やオーストラリアで少しずつできる事を増やして来ました。来る前は英語もそこまで得意ではなかったですが(幼少期は英語を話していましたが、周りの友達にいじられるのが嫌で話さずにいたらすっかり話せなくなっていました)、3年半いる間に徐々に慣れて来て、最後は英語で仕事をしたり、冗談でオーストラリア人を笑わせたりできる自信がありました。ランドスケープについても時々、挫折しながらも10年ほど勉強を続け、人と少し語れるくらいにはなって来たかな、と思っていました。

ドイツに来て、言語や文化の壁、そして知り合いが全くいない事もあり、それらの積み上げてきたものが上手く発揮できず、何もできない赤ちゃん状態に戻ってしまいました(笑)実は結構辛いなと感じていますが、海外に出るというのはこういう事なのだと思います。

幼少期にオーストラリアから日本に来た時も、日本からオーストラリアに家族旅行で行った時も、大学生になり友達とアメリカに行った時も、留学のためにオーストラリアに戻った時もこの感覚がありました。自分がそれまでにのびのびと生きてきた世界は実は狭い世界で、その外にもっと広い世界があるということに驚き、そしてそこでの力の無さに少し絶望する感覚

つい先日30歳になりましたが、この年齢でこの感覚を持てるのはすごく貴重な事なのだと思います。でも、これまでも何度も乗り越えて来て自分の世界を少しずつ広げてきました。今回もきっと大丈夫なのではないかな、と思います。


たしかに広い世界に挑戦をすることは怖いですが、挑戦しない限り自分の世界は広がっていきません。そして前述したように海外大学の門戸は思ったよりも広い。どんな分野がバックグラウンドでも熱意があれば基本的に受け入れてくれます。

年齢を重ねれば重ねる程、より広い世界に挑戦をすることが難しくなるように思います。ですので、特に若い学生の方にはどんどん挑戦的にランドスケープアーキテクチャという分野に向き合って頂きたいですし、私も頑張り続けようと思います。

7−1海を眺める少年達
私は運よくランドスケープ留学をしたことがある方と日本の大学の際に知り合い、様々な経験をさせてもらったり留学の相談に乗ってもらったりしました。今度は自分がランドスケープを勉強したい人や留学をしたい人が気軽に相談できる場所を作りたいな、と思い、FacebookGroup「ランドスケープをしたい人の井戸端会議」を運営しています。よければご参加ください。また私個人に連絡をして頂いても大丈夫です。

今後も、留学や仕事について「ランドスケープをしよう」やFacebookGroupの方で情報を発信していきたいと思っています。ドイツで少し成長した姿をお見せできればと思います。ぜひ今後もチェックしてみてください。